琵琶湖岸で浸水被害か?

■方丈記成立800年
『方丈記』は、今からほぼ800年前に鴨長明(1155-1216)によって書かれた随筆文学の古典として有名です。

元暦二年(1185年)頃大地震があった。滋賀県でも大きな被害を出し、延暦寺は根本中堂こそ倒壊を免れ、最澄以来の「不滅の法灯」は守られたとみられるが、東塔周辺を中心に多数の建物や門、回廊が倒壊した。中山忠親の日記「山槐記」に不思議な現象が記録されている。「近江の湖水北に流れ、水減ず岸よりあるいは四五段(約44~55m)あるいは三四段(33~44m)、後日元の如く岸に満つと云々(うんぬん)、同国田三丁(約3ha)地裂け淵をなすと云々(うんぬん)」
方丈記にも「山はくづれて河を埋み、海は傾きて陸地をひたせり」と場所は不明だが津波を思わせる記述がある。南から北へ異常な水流が目撃され、水が沖合に引いたり、逆に浸水した土地が有ったらしい。湖岸の断層の活動が深くかかわっており同断層帯は湖側が沈降し、山側が隆起する決まった動きをするとされる。湖底には過去の集落跡の遺跡が残り、針江浜遺跡(高島市、弥生時代)や、下坂浜千軒遺跡(長浜市、戦国時代)は地震による沈降と考えられるそうです。
自然災害は時に想像をはるかに超え、あり得ないと思うほどの事態が起こる。だが地域の歴史や伝承に耳を澄ませばヒントがあるかもしれません。想定外とならない様に備えたいと思います。
また、『方丈記』から学びたいのは、震災の直後は「儚い」「心の濁り」つまり欲望や執着などではなく、譲り合いの精神や、みんなで協力して節電しようという、互助や思いやりの美しい精神を持ち続ける事の大切さだと思います。